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四十九日(満中陰)は土葬の名残
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     この日は伊勢の実家で朝からお墓参り。四十九日までは原則毎日だれかが墓参しないといけないそうですが、母も高齢なのでなかなかそういうわけにもいかない。

     

     

     この墓誌は祖母が仏壇の位牌を整理して書いたもので、父がまとめて掘らせたものですが、どこか字が間違っているそうです。四十九日が終わったときには父の墓も整備されていけないということで、石材屋さんからの見積もりも出ていました。

     

     墓誌で一番古い没年は明和九年となっていて、これは西暦では1772年。西洋音楽史ではハイドンからモーツァルトへという時代。モンゴルフィエの熱気球が人類初の有人飛行を行う10年ほど前ということになります。父の話では阿竹家24代ということになっているのですが、このあとはせいぜい7代。その前の17代は単なる言い伝えということのようです。

     

     で、今回分かったこと。四十九日(満中陰)は死者が仏になるまでの時間とされていますが、これは土葬のころ死者が朽ちて土にかえるまでの時間だそうです。それまで盗掘などに合わないために毎日通う必要もあったのでしよう。

     

     葬儀や通夜でやたらとお香を焚くのももとはといえば死者の腐乱臭を消すためのものですしね。今は大量にドライアイスをお棺に入れるので、お香は要らない気もするのですが。もともと毎日入浴などできなかった時代には、お香は消臭剤以上にいろいろなサインを含む風習だったようです。

     

     で、火葬になって、四十九日が終わってから納骨するところも多いようですが、養草寺では葬儀の日に基本的に納骨です。

     

     光紀は妻の意向でいまだに納骨していないのですが、今回精を入れて墓誌には加えることにしました。

     

     午後早めに名古屋に戻りました。

     

    | 阿竹光紀 | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
    斎場の後、養草寺で葬儀納骨、奥文で精進落とし
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      JUGEMテーマ:日記・一般

       

       さすがに広い通夜の会場ではよく寝られず早朝から起き出して母と一度実家に戻ったのですが、これは朝の檀信徒会館の様子。

       

       

       トヨタ系の義弟のおかげでたくさんお花を頂くことが出来ました。最近できた建物で軒先は伝統和風の軒先をデザインしたもののようですが、あまり効いていません。

       

       

       伊勢はどういうわけか葬儀の前に火葬をするので、朝九時に出棺。限られた身内だけでお見送り。伊勢の斎場は永らく御薗村にあったのですが、玉城町の大仏山に新しく南勢広域斎場が出来ていました。

       

       名古屋の八事斎場よりよほど新しくてきれい。

       

       こちらが焼けるまでの貸し切りの控室。昨日から葬儀社のほうでいろいろ弁当が手配されるのでちょっと食傷気味と言いつつ二富士のお弁当を完食。

       

       かつては立ち上っていく煙を見上げて、こうして天に召されるのだ、と言ったものですが今は完全に無煙です。

       

       お骨拾いでは、高齢ということもあって係員がいろいろと解剖的所見を披歴。とても93歳とは思えないしっかりした骨だそうです。のどぼとけと言うのは本当に仏の座像の姿をしているのを知りました。

       

       湯かんでも言われたのですが、直前まで元気で歩き回っていたので、筋肉も皮膚もとても若々しかったそうです。

       

       普通は斎場で一連の儀式が終わるのですが、戻っていよいよ養草寺で葬儀。通夜会場からいろいろ移されています。

       

       

       どうも会葬者が予想より多くて、会葬品を追加。新聞のお悔やみ欄で見て急遽来られた方も見えたようです。主催者としては食事の準備もそうですが、数の管理に一番気を使います。読経で読み上げる施餓鬼の管理は隣保の方にやっていただきました。

       

       葬儀は僧侶五人による立派なもので、これは母の意向。祖母の時は養草寺に積み立てをしていたとかで、僧侶10人という盛大なものだったとか。あたけも参加しているはずですが、四半世紀前なのでほとんど覚えていません。

       

       初七日も含めて二回焼香の後昨日の女性司会者が登場して弔電の紹介。フランスに行っている孫からの弔辞が涙を誘いました。

       

       そのあとまた喪主あいさつです。今回は昨晩のプロフィールは無く、通夜の間いろいろと阿竹信生伝説がささやかれていたので紹介しようかとも思ったのですが、横に母と妹が並んでいるので空気を読んでやめました。手短にとてもよい人生を送れたことへの感謝とこれからも、このご縁を大切に残されたものをよろしくお願いしますとだけ伝えました。

       

       そのあとすぐに隣り合う宮後町の墓地に埋葬。しばらく実家で休憩のあと、歩いていける料理旅館の奥文で精進落とし。近親者ばかりですが最近生まれた曾孫まで含めると17人ほど参加。葬儀で紹介しなかった阿竹信生伝説に花が咲きました。

       

       阿竹信生の94年近くの幸せな生涯を支えてくださった方の多くはすでに他界していますが、冥界で再会を祝していると思います。この場を借りて改めて皆様に感謝申し上げます。

       

      | 阿竹光紀 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
      養草寺檀信徒会館で通夜
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        JUGEMテーマ:日記・一般

         今日は実は長男光紀の四回目の命日で、それなりに行事も予定していたのですがすべて無くなってしまいました。一日違いということで、息子が父を呼んだのではないかという声も。

         

         午後から湯かんということで、朝からお棺に入れる遺品の選択。燃えるものでないとということで、検討に使っていた将棋の版と駒。長年ためた新聞の棋譜の切り抜き、将棋だけでなく囲碁の棋譜もありました。下に挙げた奇蹟の飛行艇はアンボン島の海軍時代のことを思い出すということで、何度も繰り返して読んでいたようで、アンボン会という戦友会の友達にも貸し出して感謝の手紙が添えられて帰ってきていました。これも入れました。

         

         晩年誰かから贈られた帝国海軍の帽子が気に入っていたので、探したのですが見つからず、あきらめかけていたところ、一番目に付くところに置いてあるのを発見。こういうのがなかなか気が付かないようです。

         

         続々と親戚が駆け付ける中、午後三時から今は使われていない時計店の土間に茣蓙を敷いて湯かん。霊柩車に母と乗って通夜の会場、養草寺檀信徒会館へ。このあたりはまだ檀家制度が生き残っていて、葬儀は養草寺を通さないといけないようです。隣保というご近所の互助制度も生き残っていて、お隣やら伊勢うどんの山口屋のおばさんがいろいろお手伝いに来てくれます。

         

         昨日遺影として米寿の祝いの時の写真を選んだのですが、背景や衣装を合成してなかなか良い具合に出来てきました。

         

         

         これは通夜の祭壇。お花の申し出はできる限り遠慮していただくよう伝えましたが。

         

         で通夜はご詠歌のみなのですが、最初いきなり喪主あいさつと言われて焦りました。打ち合わせをしていたはずですが、普通は最後だと思ってちゃんと聞いていませんでした。通夜の御礼ととりあえず死亡のいきさつなどを伝え生前のご厚誼に感謝しました。

         

         そのあと司会から、故人に関するナレーション。実は昨晩葬儀社から父のプロフィールについてのマークシートと記入欄のある用紙を渡されて、一杯飲みながら一人で書いてFAXしていたのですが、うまくまとめられていました。

         

         腕のいい時計職人で、帝国海軍の下士官(たしか最後は兵曹長)の生き残り。囲碁将棋麻雀ゴルフと多趣味で、将棋は伊勢新聞でプロと対局(駒落ち)棋譜が載ったのが自慢で、先日対局した最後の手は8八馬の逆王手で父の勝ちと伝えてもらいました。

         

         夜は一緒に過ごせるのは五人までということで、母と兄弟三人それに妻が泊まりました。またビールで飲み会。あたけが唯一の男性なので、父の祭壇の横に布団を敷いて寝ることになりました。

         

        評価:
        北出 大太
        光人社
        ¥ 926
        (2004-12)
        コメント: 南方アンボン島を拠点に活躍した川西97式大艇の転戦の記録。南方に展開した日本軍の実情を伝える貴重な資料となっている。

        | 阿竹光紀 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
        ウィンドウズ10にアップグレードしました。
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          JUGEMテーマ:コンピュータ

           ここのところ、台風15号が接近中ということで不安定な天気なんですが、ぐっと涼しくなりました。昨日は一日執務室で、晴れないと執務室は快適なんですが、日曜日に図書館で借りてきたアンドラーシュシフの平均律曲集を聞いたり。

           ここのところグレン・グールドの平均律を聞く機会が多かったので、実はグールド以前のバッハを聞きたかったのですが。グールドがこの世界をすっかり変えてしまったので。

           でもシフのバッハはグールド​の影響をうまく入れつつ、リリカルでいいなぁと思いました。
           さて日曜に気が付いたのですが、メインで使っている息子が残していったwin7マシンにwin10へのアップグレードの準備ができた通知が来ていました。このマシンは​息子の自作のハイスペックマシーンですが、時折突然ハングアップする。
           アップグレードしたら全く動かなくなってしまったらどうしよう、ということで事前にソースネクストのノババックアップという有料ソフトを入れました。とりあえずソフトのダウンロードだけ先に済ませて、アップデートの予約を月曜の夜11時に設定。
           ところがこのバックアップソフト、設定がおかしいのか、遅い上になにやらめちゃくちゃハードディスクを消費するのですね。160Gくらい余っていた予備ハードディスクが知らないうちに満杯になっている。ということでアップデートができるだけの空き容量を確保して、ままよ。と踏み切りました。もともと最初のwin7のシステムディスクやパスワードは保管されていたので、最悪でも再セットアップすればいいかということで。30%くらいまでいろいろ更新準備ができるまで15分ほど見ていましたが、そこで寝ました。
           で夜中に起きてチェックすると、アップグレードされていました。息子のIDが先なのでパスワードを聞かれます。知らなかった秘密の質問なども聞かれるわけですが、答えられない。まあこれはあとは天国の息子に任せることにして、自分のIDをとにかくセットアップ。
           win10についてはいろいろ言われていますが、先にwin8マシンを入手して少し慣れていたので、win7とwin8のちょうどいいとこどりみたいな感じです。タッチセンサとかないので、別にwin7でよかったわけですが。
           焦ったのは、インターネットエクスプローラー通称IEがなくなって、エッジとかいうソフトになっていてブックマークが全然引き継がれていない。なにやらこちらのアドレスにメールを送ったというのに見られない。
           幸いグーグル・クローンはそのまま生きていて、そちらでチェックできてよかったのですが。ということでここでシャットダウンして再び就寝。翌朝もう一度立ち上がるか多少の不安はありましたが。
           その後旧ブックマークのありかもわかり、引き継ぎができることもわかったのですが、もともと膨れ上がりすぎていたので大幅に絞ることにしました。
           主要なよく使うソフトや周辺機器のドライバもチェックしましたが、問題なく動きます。ただ息子のインストールしたドライバソフトの一部に動かないのがありましたが。

           ということでその後調子よく動いてくれています。いろいろとかゆいところも手が届くようになってきました。ただ突然シャットダウンはここまで実は二日間で二回経験しました。初期不良でリカバーされるとうれしいのですが。
           意味がなかったノババックアップは削除はしないものの、動作を止めました。
           午後確認申請が降りたということで、台風接近中の雨の中車で取りに行って、帰ってまた家で飲んで寝て後日更新です。
          続きを読む >>
          | 阿竹光紀 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
          光紀の命日にお友達が来てくれました。
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            JUGEMテーマ:学問・学校


             昨日も暑い日ですが、1限から4限まで名城大の日。生徒のあいだをずっと歩くので足が一番疲れます。
             今回初めて名城にロードバイクで行きました。盗まれないようにフエンスにワイヤー錠で止めるのですが、よく見るとフェンス際は高そうな自転車で一杯。銀行やイオンにも行きましたが普段走りもなかなか快適です。ただスピード出すわけでもないのでサイクルコンピューターははずしていました。

             夜、光紀の幼馴染の子が中学の同じ陸上部の子と連れ立って来てくれました。お焼香のあと妻と四人で結構長く話しました。最近御幸山中学の陸上部は大活躍らしいのですが、彼らのころは男子は弱くて、県大会で通用するのは光紀と後輩がもうひとりいたくらい。キャプテンの光紀は明るくてムードメーカーでみんなを盛り上げてくれていたそうです。監督の先生は一見怖そうなのにとてもゆるかったとか。

             もう就職したり、将来を見据えたキャリアアップに励んでいるようですが、あのころが一番良かったなあという声も。

             今日はじめてわかったことは光紀は行きたがっていたパリ祭の日に亡くなったということ。

             また頂き物のお花やメロンで仏壇はいっぱいになり、そのあと久しぶりにお経を上げました。妻はまだ毎晩上げているのですが。

             以前から憶えていた般若心経は途中一箇所つっかえましたが、なんとか完唱。
            ところが完璧に憶えていたはずの舎利禮文は途中で暗譜が飛び、経文を取り出しました。やはり過信は禁物です。

             アメリカの探査機ニューホライズンが冥王星に再接近。結果の第一報が入るのは今日のようです。
             
            | 阿竹光紀 | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
            海上自衛隊舞鶴基地で護衛艦を見ました。
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              JUGEMテーマ:旅行
              JUGEMテーマ:アート・デザイン

               今日は雨が上がって全国的に20度を超える馬鹿陽気に。もう桜の開花もすぐそこなんで当然なんですが。

               さて日曜ですが、引揚げ記念館で聞くと海上自衛隊基地に行くなら三時まで、徒歩で10分以上かかるのでお早めにとのこと。
              たくさんのレンガ倉庫群を抜けていくと広い駐車場がありたくさんの人が歩いていきます。右翼っぽい車も止まっています。

               いずれにしても人気スポットののようです。入り口受付で代表者の名前と連絡先を書かされましたが、特に身分証明書の提示を求められることも無く、写真を撮るのも自由。機密保護より国民へのファンサービスが第一と言う感じです。

              護衛艦を真近に見るのは多分生涯始めて、名古屋港の南極観測船のふじも海上自衛隊ですが、あれは退役してますから。


              これは「ふゆづき」という新鋭艦。調べてみるとイージス艦では有りませんがレーダーとかステルスデザインとかイージスを思わせるものがあります。

              逆にこれは退役まじかの「しらね」という艦。新鋭艦と比べると壁が垂直でステルス性能が無いことがわかります。しかも壁がベコベコしていて鉄板薄そう。

              これはしらねを前から見たところ。

              自衛官もファンサービス。一般市民が乗艦できる日もあるようです。


              これも「ふゆづき」のヘリ格納庫。しらねとの違いは一目瞭然。

              これはもう一艘泊まっていた護衛艦「あさぎり」。やや小型の艦です。

              もうすぐ閉門の三時ですがまだたくさんの人が居ます。

               居合わせた自衛隊員に外国の方が来てもこんなに簡単に見れるのですかと聞いてみたのですが、広報にお問い合わせくださいとのことでした。今護衛艦に関してはネットで詳細にいろんな情報がみれます。国家機密も何処へやら。

               もうすぐ海自最大の護衛艦、強襲揚陸艦とも言われる「いずも」の就役にともない「しらね」に変わってこれも空母型の「ひゅうが」が舞鶴に配備されるそうです。

               イージス艦「みらい」が活躍する「ジパング」の大ファンだった息子があたけの頭の上のあたりで盛んに喜んでいる感じが伝わってきました。

               「おやじ、思ったよりでかいなー」とかなんとか。
               
              | 阿竹光紀 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
              つれづれと空ぞみらるる思う人・・・は実は自らの死の歌?
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                JUGEMテーマ:学問・学校
                JUGEMテーマ:恋愛/結婚


                 あたけは寝る前のうつつの状態で少し神経症的になにか忘れている過去の大事なことを思い出そうとするのですが、ここのところある歌が引っかかっていました。つれづれに???見らるる思う人の????来るものならなくに、とかなんとかいう恋の歌。多分高校の頃本当に恋していた頃に憶えた歌ではないか。空一杯に恋人の笑顔を思い描く、みたいな。

                 で、今日お昼のポンズの散歩中にふと空を見上げてハタと

                 つれづれに空ぞみらるる思う人の天下り来んものならなくに、

                では無いかと思い出しました。感覚から言って俵万智まではいかないものの、三好達治とか近現代詩人の和歌ではないか。

                 あるかなくながれにうかぶうたかたの かげよりあわきわかきひのゆめ とかいう歌が三好にあったような

                 でもそのとき同時にはたと気がついたことは。

                 これは実は恋の歌などではなく、来迎図の歌ではないか。ということです。いわゆるお迎えが来る。という歌。

                 昨年のクリスマスにあろうことか平等院鳳凰堂に行ったおかげなのですが、末法の世に流行った来迎の思想を知りました。

                http://atake-i.jugem.jp/?eid=1235633

                 人が死期を迎えたとき、空から如来がその人が最も会いたいと思う人の姿で現れて、つれてきた天女たちの奏でる音楽とともに極楽浄土に連れて行くという図が来迎図です。

                 で戻ってすぐにネットで検索をかけてみました。

                 わかったことは これは和泉式部の歌で玉葉集の恋の歌に収められているということです。

                 かなり記憶が違っていました。

                 つれづれとそらぞみらるる おもふひとあまくだりこむものならなくに

                 というのが正しい。

                 和泉式部について見て見ると、恋多き女性だったことはつとに有名ですが、生きていたのは978年頃からということです。没年は不詳ですが1025年にはまだ存命であったことがわかっています。平等院鳳凰堂の成立の少し前ですがまさに末法の世。

                 なぜ1025年に存命であったことがわかるかというと、その年娘で母の血をついで優れた歌人でもあった小式部内侍に先立たれたときの歌が残っているからで、

                 暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遙かに照らせ 山の端の月

                和泉式部はこれ以前にも最愛の恋人に先立たれることが続いています。

                 そう考えると有名な百人一首の

                 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

                 にも共通するテーマ、自らの死、が感じられます。
                和泉式部は晩年仏門に入ったようで、京都には和泉式部を開祖とする誠心院というお寺もあります。

                http://www.seishinin.or.jp/index.html

                 浄土宗ではなく真言宗のお寺ですが、ここに出てくる和泉式部絵巻はまさしく来迎の図。当時女性は成仏できないとする考えが支配的で、和泉式部は成仏する道を一生懸命探したそうでついに念願かなった様子が絵巻になっているようです。

                でも、いったい恋多き和泉式部が最後に選んだ「おもうひと」とは誰だったのか。

                 さて、今日はバレンタインデー。

                 いつもの通り義理の母から宅配便で 義理チョコ が届きました。

                 あて先はわたくしの名前になっていますが、これは早逝した光紀へのチョコレートであることはわかっています。

                 早速仏壇に供えました。

                 毎月14日は光紀の月命日でもあります。

                 
                | 阿竹光紀 | 15:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
                昨日の帰り道ですが平等院鳳凰堂に行きました。
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                  JUGEMテーマ:アート・デザイン
                  JUGEMテーマ:旅行

                   さてこの日付で昨日ですが日本へそ公園から加古川に出て新快速で京都に入り、奈良線で宇治へ。実は行きの社内で世界遺産平等院鳳凰堂が平成の大修理を終えて公開しているというテロップが流れたためです。そのまえにBSかなにかで鳳凰堂の番組をやっていて、その後関西出張のおりに行こうと思ったときにはまだ改修中でした。

                   今年の秋に新装オープンというとパチンコみたいですが、平等院というと10円玉でおなじみ。平安末期に末法思想からの救済を願って建立されたくらいの知識でした。

                   宇治駅から旧街道の土産物街を通っていくと宇治橋に出ます。



                   三重県民にとって宇治橋といえば内宮前なんですが、こちらは琵琶湖から流れ出る宇治川にかかる由緒正しき宇治橋。伊勢と違って「うじはし」とにごらないようです。欄干こそ和風ですが、片側二車線歩道付きのコンクリートの大きな橋です。



                   平等院までは宇治駅から徒歩10分くらいあるのですが、これで文句を言っていると近鉄五十鈴川から徒歩30分くらいかかる内宮は何なんだということになりそうです。みやげ物街も拡幅されていて、旧街道の面影はあまりありません。きっといわゆる伝建保存地区などの制度ができる前に開発されてしまったのだと思います。犬山市も市県道を市道に戻すという市長の英断がなければこうなっていたのかもしれません。



                   これが今回改修なった平等院鳳凰堂を内部拝観受付の前から。入園料600円は安いかも、と思ったのですが、内部の見学を申し込むとさらに300円。でもまあ創建時には庶民には中を拝むなどとんでもないことだったに違いありません。伊勢神宮など20年に一度の特別な機会しか総理大臣でも玉垣の内側にすら入れないわけですから。

                   16時10分の内部拝観最終回に申し込んでその前に園内を一回り。



                   これは栗生明の平等院鳳翔館。鳳凰堂宝物館で、最近ではみんなが真似をしてちょっと食傷気味のデザインですが2001年に出た当時は新鮮だったのでしょう。



                   内部拝観でも内部の撮影はできないということでしたが、内部拝観通路から外観の撮影はOKとのこと。新しくなったのは外観だけで、内部は古いままです。

                   この両翼はまさしく平面計画上も鳳凰の翼ですが、悪く言えば機能の無いハリボテ。二階の回廊は人が立てる高さではありません。どうせならちゃんと回廊にすれば良かったのにと思うのですが、貴族といえども人が立ち入ってはいけない領域なのか?

                   この色彩は時代考証を経たもっとも創建時に近い色とのこと。ただ触ると付くのでかばんや衣類にご注意くださいとのことでした。





                   10円玉の絵に見える方向を逆に見返すとこう。この池は阿字池だったような。
                  ほかでも思うのですが、こういう刈り込まれた芝は本来日本庭園には無かったものではないでしょうか。



                   これは北側。鳳凰堂は東向きに建っているのですが、このあたりでは宇治川は南から北に流れているということで方向感覚が狂います。



                   園内の四阿。改修前にはこんな色だったのかと思ったのですが、今Wikipediaで改修前の詳細な画像が見られます。



                   10円玉に近い映像を撮ろうとしたのですが携帯ではそこまでの広角は無理でした。



                   南側から。とにかく極楽を末法の世の地上に現したとのこと。

                   鳳翔館は入園料だけで入れて、内部の創建時の色彩と装飾を再現したCGなどが圧巻です。BSで見た記憶があります。

                   人が死ぬ瞬間に天上から如来がその人が最も会いたい人の姿で現れ、従えてきた天女や菩薩が音楽を奏で、苦しみも無くかき抱いて、次に目覚めると極楽浄土にいる。という当時流行った浄土信仰をインテリア全体で表しているということです。一応うちも浄土宗なので光紀の最後もそうであってほしいと思いました。
                  | 阿竹光紀 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
                  WIN7どうやら復活も、ちょっとスパイダロス症候群
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                     今朝は久しぶりに快晴。お盆も過ぎてここのところどんどん日の出が遅くなっていますが、ポンズの散歩に行ったあと丁度ご来光だったので自宅前から撮ってみました。朝の5時35分になっています。

                     

                     午後田森整形に先日の血液検査の結果を聞きに行きました。尿酸値と血糖値を気にしていたのですが結果は基本的に異常なし。前日に飲酒した結果肝臓関係のデータが少し異常がわに振れていました。

                     さて、WIN7ですが、結局いろんなドライバーやらソフトを再インストールしてようやくお仕事で使えるレベルに戻りました。ここまでやるんだったらいっそWIN7自体を再インストールしても良かったのかもしれませんが、なにせ自作した本人がいなくなってしまったので、デバイスのドライバー類がホントにそろっているかどうかもわかりません。

                     再セットアップ失敗のリスクを考えると躊躇します。でもあいかわらずタマにハングアップします。

                     まあ、今回ハードディスクを三台も積んでいることがわかったので、別のハードディスクを新たにシステムとしてセットアップする手もありそうですが、そんな暇がもったいない。

                     今回しかたなく、またしばらくXPマシンを現役に戻してみたのですが、やはり起動が遅く、その間暇なので、ついスパイダソリティアに手を出してしまいます。

                     するとWIN7にもどってもなんか手持ち無沙汰なんですね。スパイダロス症候群というのでしょうか。

                    このぶろぐでアクセスを稼いでいる記事がいくつかあって、そのトップスリーに入るのがこの話。

                    http://atake-i.jugem.jp/?eid=1216716

                    これにはいろいろ異論もあるようですが、XP版とVISTA版でかなり違う気がします。

                     WIN7になってこういうOSの付属ゲームそのものがなくなってしまって、世界的にみんなの時間を奪わなくなって、生産性が向上したのではないかと思います。

                     XPが事実上引導を渡されたので、残るはマイナーなVISTAだけのはずですが、アクセスが衰えないことを考えると根強い任期があるのでしょうね。

                     世の中スマホゲームが氾濫していて、かなり大きな経済規模になっているようですが、みんなの生産性も奪っている気もします。

                     スマホ版のスパイダソリティアってあるんですかね。
                     
                    JUGEMテーマ:ゲーム

                     
                    | 阿竹光紀 | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
                    WIN7機ダウン
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                      JUGEMテーマ:コンピュータ

                       さて土曜ですが、打ち合わせから帰ってから光紀遺作のWIN7マシンを点けようとすると、点かない。ハードディスクは回って、ランプは点滅しているのですが、ディスプレイになにも出てこないわけです。

                       これはディスプレイの故障かと思って他のディスプレイにつないでも出ない。逆にその高解像度モニタを古いXPノートにつなぐとちゃんと出る。ということで手を変え品を変え何度も電源を入れたり消したりしてみたのですがダメ。その時点で画像関係のハードウェアのトラブルかと思われたわけです。

                       で日曜にNHK杯もそこそこに大須のツクモ電気一号店に電話して持ち込みました。やたらとスペックを追求したゲームマシンなので車に積むのも重い。光紀もツクモを中心に買い集めたパーツで組み立てたはず。ということで画像ボードの取り替えくらいは覚悟して行ったのですが・・・・。

                       店員さんを呼んでキャスターで駐車場から運んで、向うのモニタにつなぐと。なんと出るではありませんか。ただ、どうもハードディスクが回っているだけでWIN7は起動しません。これはソフトがクラシュッしたみたいだということで、復元ポイントにもどそうとするのですが、一年近く前の復元ポイントしか出てこず、しかも復元に失敗します。これはどうもソフトを入れなおさないとダメみたいですね、といわれてその手順を聞いて帰りました。とりあえず診断料は最小限の700円に負けてもらえましたが、駐車代金にまた700円。なんか少し買いものをすれば駐車代が要らなかったかも、とあとで思いました。まあでもボードとっかえよりはうんと被害は少ない。

                       で、このマシンの製作者が居なくなってしまったので、ということで根掘り葉掘り店員さんに聞くと、かなり変なことをしていることがわかりました。COREi7の3MHzで64bitOSということで、当時の最強スペックには違いないのですが、ハードディスクを物理的に3台も積んでいる。あたけはずっと変なパーティションの切り方をしてるなと思っていたのですが。

                       あと画像ボードも二つ積んでいて、しかもそれらを遊ばせて、変なアダプターをかませてマザーボードから画像を取っていたようです。何を考えていたのかよくわかりません。今回画像ボードから取る様にしたらちゃんと映りました。

                       アメ横第一ビルに行くのは久しぶりですが、八事に引っ越す前は近くに住んでいて、マイコンの時代から足繁く通ったものです。

                       やがて第二アメ横も出来、大須は名古屋の秋葉原と化していくわけですが、今回パソコン系の店が減って、というかツクモが売り場を拡大して、一階はオタク系の店が増えていました。ツクモもパソコンは家電量販店などと競争するのをやめて自作マシンに特化してきている気がしました。

                       さてウィンドウズを再セットアップするにはまず息子の部屋を家捜しして、WIN7のシステムディスクを見つけないと。でもっていろいろソフトやらドライバをインストールしなおすと一日仕事ではすまないと脅かされて帰ってきたわけですが。

                       とりあえず、かつてのXPマシンの中で最強のマシンを引っ張り出して、デスクトップのキーボードと高解像度モニタをつなぐと、これはなかなか快適。少し遅いのがイライラするくらいですみます。というわけで、土日の大半をこのトラブルに潰されてしまいました。これもそのXPで書いています。


                       
                      | 阿竹光紀 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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